大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)130号 判決

原告 佐藤五郎

被告 特許庁長官

主文

昭和三十六年抗告審判第八九五号事件について、特許庁が昭和三十七年六月二十九日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一双方の申立

原告は主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告請求原因

(特許庁における手続経過)

一  原告は、昭和三十三年七月十六日、「流体力学的に安定を保つ潜水艦船」という名称の発明について特許を出願し(同年特許願第一九九八九号)、昭和三十六年二月十三日拒絶査定があつたので、同年四月十日抗告審判を請求したが(同年抗告審判第八九五号)、原告の主張は容れられず昭和三十七年六月二十九日その請求は成り立たない旨の審決があり、その審決書の謄本は同年七月十八日原告に送達された。

(発明の要旨)

二 本願発明の要旨は、その出願当初の明細書および図面ならびに昭和三十五年九月二十六日提出の訂正書の各記載から明らかなように、その特許請求の範囲に記載された通り、

「メーンタンクを全排水量の十パーセント以下あるいは皆無とし船体の外形を紡錘形の流線型に成型した潜水艦船の船体に安定板と艦船の航行中の対水速度により艦船の浮心廻りの頭上げあるいは頭下げの作用を積極的に生ずるフラツプ的作用および艦船の浮心廻りの左右の傾斜を積極的に発生させるエルロン的作用をする可動板とからなる水中主翼、水平舵またはその両者を突設して設けるとともに、従来浮心重心間の垂直距離を大にし艦船の復元安定の用に供せしめるため設けられていたバラストキールを全廃し浮心と重心間の距離を艦船の静止時の復元性を保有する程度の最小限(百五十ミリメートル以下)に止めたことを特徴とする流体力学的に安定を保つ潜水艦船」にある。

(審決の内容)

三 これに対して、本件審決は、拒絶査定の拒絶理由に引用された実公昭三二―一一八六五号公報には、「メーンタンクを全排水量の十五パーセント以下にし、船体の外形を紡錐形の流線型とした船体に、航行中の対水速度により艦船の浮心廻りの頭上げあるいは頭上げの作用を積極的に生ずるフラツプ的作用をする可動枝を有する水中主翼、水平舵を設けた有翼潜水艦」が示されているとし、本願発明と引用例のものを比較して次の通りの判断を示した。

「本願の発明は、

(1)  艦船の浮心廻りの左右の傾斜を積極的に発生させるエルロン的作用をする可動板を有し、

(2)  浮心と重心間の距離を艦船の静止時の復元性を保有する程度の最小限(百五十ミリメートル以下)とし、

(3)  従来の艦船に設けられているバラストキールを設けない。

点において引用例のものと相違しているが、

(1)の点については、航空機などで普通に知られた手段であるから、これを潜水艦に利用することは必要に応じて当業者の容易になしうることと認められ、

(2)および(3)の点については、潜水艦の設計に当り、当然考慮されるべき事項であつて、必要に応じて当業者の容易に設計できる程度のものであると認められるから、これらの点には発明を認められない。

なお、抗告審判請求人は請求書において、本願の発明は、上記三点のような構成要件を結合することによつて作用効果を奏するもので、特許要件を具備する旨主張しているが、本願発明は引用例のものと比較して、潜水艦の安定性、運動性において、格別顕著な差異を認められないから、各構成要件に発明を認められない以上、請求人の主張は理由がないものと認める。

したがつて、本願発明は、引用例記載の技術内容から容易に推考できるものと認められるので、原査定通り、旧特許法第一条の発明と認めることができない。」

四 しかしながら、本件審決は、次の通り判断を誤つた違法なものであるから、取消されるべきである。

(一) 本願発明は次の三点において引例と明確に相違し、この相違点のそれぞれが従来の潜水艦船建造工学の常識からはまつたく示唆されない新規かつ特異の要件であり、もちろん通常の技術常識から推考しうる程度のものでもない。

そして本願発明においてはこれらの各要素が互に関連して、その何れかが一つ欠けても所期の作用効果を得られないものであつて、すべての要素が全部相互に作用し合い助け合つて有機的な関連結合をし、もつて、新規かつ特異の作用効果を奏するものである。

引例との相違点を挙げると、

(1) 船体に、安定板とフラツプおよびエルロン的作動をする可動板とからなる水中主翼、水平舵またはその両者を突設して設け、浮心を通る船体の頭上げまたは頭下げの運動を司どるフラツプ的作動および船体の前後軸廻りの安定を司どるエルロン的作動をさせるようにした点

(2) 潜水艦船の浮心および重心との距離を静止時の復元性を保有する程度の最少限(百五十ミリメートル以下)とした点

(3) 従来船舶工学では常識的存在であり潜水艦船にも普通に浮心重心の差をつけるために設けられていたバラストキールのような錘を全廃した点

である。

(二) そこで以下これを詳説すれば、

(1) 水平翼または水平舵の点について、

(ア) エルロン効果について

エルロン作用およびエルロン効果とは流体中を翼型突出物を有する航行体が安定した状態で航行している態様において、その航行体に突然に航行体内の重心変化などの内力または流体の流れあるいは乱れなどの外力のような、ある大きさの内外力が加わり、その力のために航行体の運動に前記の安定した状態から傾斜あるいは回転などの変化を生じたとき、流体と航行体との相対速度にともなう翼状突出物の流体力学的作用によりもとの安定状態に復元しようとする力が発生し翼状突出物のために自然にかつ合理的にもとの安定状態に復元する作用および効果をいうのであつて、流体力学においてよく知られているところである。飛行機の固定主翼はこのエルロン作用により飛行機の安定を得ていることが知られている。

(イ) 水中翼について

ところで、固定翼を有し推進装置で推進する飛行機はその自重はつねに同容積の空気よりも重いから、そのままでは停止することはできずこれを空中に支えるためには常に空気と相当な相対速度を有していなければならない。

これに対し潜水艦船は水中においてはメーンタンクに適量注水してその重量をその全容積に等しい外水の重量と等しくし浮力あるいは沈降力を零とすれば、水中の任意の深さにおいて停止することができ、そしてメーンタンクに注排水することによつて浮揚力および沈降力を発生させるのであつて、右は船舶技術者の常識である。

そこで本願発明にいう潜水艦船の水中主翼についてみるに、この水中主翼は航行中潜水艦船の重量を支える必要はなく、これによつて浮揚力は沈降力あるいは傾斜回転などの旋回力を生じさせしかも安定作用を生じさせるものである。これに対し、飛行機の主翼は空中に機体の全重量を支えるため飛行機の全重量に等しい揚力を発生させ、かつ機体を上向き・下向きに変化させ、翼に対し空気流の流入する角度を増減することによつて揚力を増減して上昇または下降するものであるから、本願発明の水中主翼と飛行機の主翼とはたまたま「主翼」という文字を共通にしていても作用がまつたく異るものである。したがつて、飛行機の主翼に施すべき技術手段をそのまま本願発明の水中主翼に施すことは通常の技術常識では不可能のことである。

すなわち、航空機の主翼の場合はフラツプ翼を操作するときは、操作前には空気との相対速度で生じていた航空機の自重に等しい揚力によつて空中に支持されているが、フラツプ翼の操作によつて主翼に揚力が増加または減少し、主翼の揚力は、その増加または減少の分だけ増加または減少するので、その分だけ航空機の自重に比較して大または小となつて、機体が上昇または下降する。

そしてそのいずれの場合でも、主翼に発生する揚力の方向は上方へ向いており、下方に向く自重と対向するものである。

これに対し、潜水艦船の水中主翼の場合、可動板の移動は直ちに水中主翼に上向きまたは下向きの力を発生するものであつて、これに対向する力(たとえば潜水艦船の自重等)はまつたく存在しないのである。

このように航空機の主翼に付すべき技術手段を直ちに本願発明の水中主翼に施すことは通常の技術常識では不可能のことである。

本願発明の明細書のうちに、エルロン的作用をする可動板等を動かす機構について「これらの操縦装置は、とくに図示していないが、航空機におけるエルロンフラツプおよび垂直、水平尾翼の操縦装置と同一機構を採用しうる」旨記載しているが(同明細書第十三頁第二行から第七行)、このことから直ちに原告が本願発明の潜水艦船を航空機と同一に考えているものとすることは誤りである。すなわち前記のように本願発明の原理および機構の翼を飛行機に採用したら飛行機は直ちに墜落し、その用をなさないのである。

原告が航空機と同一機構を採用しうると述べたのは、従来航空機に使われていた機構と同じものを、本願発明のエルロン的作用をする可動板を動かす機構について用いることができ、その機構について説明または図示するのを省略しただけであつて、何も本願発明の潜水艦船が航空機と同一思想のものであることを認めているわけではない。

(ウ) 水中翼と水平舵について

本願発明の潜水艦船においては水中主翼と水平舵はそのいずれかまたは両者を具備してもよいのであつて、水中主翼のみを有する潜水艦船の場合には、水中主翼は航空機の主翼と同様に見えるかもしれないが、主翼の可動板を左右同時に上方へ回転して頭下げを行い、また下方へ回転して頭上げを行うということは潜水艦船の水中主翼によつて可能であるが、航空機では不可能である。

また、水平舵のみを有する潜水艦船の実施例においてはこれに相当する航空機はない。すなわち、舵板のみでは航空機の全重量を支えることは不可能であるからである。

さらに水中主翼と水平舵とをともに有する実施例においては両者の可動板を同時に上方または下方へ動かすことによつて船体を水平に保持して沈降または浮上ができる。航空機ではこのようなことはできない。

これらの作用効果は潜水艦船自体が水中航行に当つては浮力零とし水中に何処ででも自由停止しうる性質であるからこそ可能の技術思想なのである。

(エ) 引用例との対比

引用例のものの主翼は潜水艦の本体の重心部付近に設けてあつて水平舵の操作は艦の浮揚沈降の浮沈舵力を艦の重心付近に付与するものであるから、水平舵の操作によつては艦体の頭上げまたは頭下げの運動は行わないのである。すなわち、水平舵の操作によつて浮沈舵力が発生した場合は潜水艦の本体は水平状態を保つたまま斜め上方にあるいは斜め下方に運動するものである。

ただ、昇降舵は艦体の重心部付近より遠隔の点に設けられているから、その操作によつて頭上げまたは頭下げの運動を生ずるのである。

なお、引用例は、原告の考案したものであり、しかも水中主翼を有する潜水艦船は原告の提案にかかるもので、原告以外には水中主翼を提案した者はいない。「水中主翼」という名称も原告が命名したものであつて、従来水中主翼に相当するものは存在しなかつたので、何と命名してよいか困つた経験もあり、「舵板」と命名すれば従来の潜舵昇降舵の類と間違えられるおそれがあり、「突出板」あるいは「取付板」などとすればエルロン作用を生ずる意味が生じないので結局「水中主翼」と命名したものである。

これに対し、本願発明の水中主翼は本願の明細書第十三頁第八から第十一行に記載してあるように、「その浮力中心が船体の船首より長さの五分の一以後重心位置までの間に位置することが実施にあたり好ましい。」とあるように、水中主翼の浮力中心は重心位置より前方にあり、したがつて、水中主翼に発生する浮揚力または沈降力は潜水艦の頭上げまたは頭下げの作用を積極的に生ずるのである。

(オ) 被告の主張に対する反論

被告は、「潜水艦でも………その速度が速くなれば、流体力学的にみて当然航空機と同様に揚力を発生することができるようになり、低速で航行する潜水艦ほど浮力のみに頼らなくてもよい。」旨主張するが、流体力学上揚力はもちろんスピードに関係はあるが、その翼型、翼面積によつて生ずるものであつて、翼型によつて揚力をも沈下力をも生ずるのである。速度はそれが早くなれば力が大になる関係にはあるが、揚力を生ずる生じないは翼型によるのであつて速度によるのではない。したがつて、潜水艦船の最低速度約三ノツトの場合でも浮力を有する翼型を用いれば浮力を生ずるのである。

(2) 浮心と重心の距離について

(ア) バラストキールの全廃との関係

船舶工学あるいは造船工学においては船の設計に当り船の安定を浮心と重心との距離に基くヤジロベエ的復元力に依存しているため、右の距離を、安全性を考慮して計算値以上に大きく設計し、かつ、この距離を大きくするためにバラストキールのような錘を設けることが常識であつた。そして潜水艦船であつてもその例外でなかつた。このようにバラストキールの存在は当然のこととされていたから、刊行物においては、その説明が省略され、必ずしもその表現は明瞭でないのが通例であるほどである。バラストキールは完全な設計図を見なければ存在が明確でないというのが船舶技術者の常識である。

したがつて、バラストキールを全廃することが設計に当つて当然考慮されるべき事項であるとするならば、当然これを全廃した設計例があつて然るべきであるのに、その例を知らない。

(イ) 従来の理論

船舶工学においては、船舶の復元性を重心Gと横メタセンターMとの距離によるヤジロベエ原理によつて保つているが、船舶の傾斜角をθ、船舶の排水重量をWとしたとき船舶の復元力Xは次の式で表わされる。

χ=W×BGsinθ

潜水艦船の全水没時における安定性を考えると、横メタセンターMは浮心Bにおきかえて考えることができるから潜水艦の復元力Xは

χ=W×BGsinθ

で表わされる。

そこで復元力についてみると、その要素を占める(W)と(BGsinθ)とを比較すると船の大小によつてWは大きくもなり小さくもなる。しかしWを大にしたときにはBGを大にしなければならないとか、Wを小にしたときにはBGを小にしなければならないという理論はありえない。Wが大きければ(BGsinθ)が小であつても復元力は大なのである。

逆にWが小であればBGを小にすれば復元力はきわめて小さくなつて復元性の悪い船ができることになる。

したがつて、BGによつて潜水艦船の復元性(横安全性)を保とうとするときは、潜水艦船の排水重量をどのように小さく設計したとしてもBGは一定距離(最少限二百ミリメートル以上)以下にはすることができないというのが従来の船舶工学の常識であつた。しかも従来の潜水艦船は、水上航行の船舶を単に密閉して水中を潜航させたというにすぎないからBGを大きくとつていたのであつて、これを零にしてよいという考えは従来まつたく存在していなかつたのである。

(ウ) 百五十ミリメートルの意味

原告が本願発明において浮心と重心との間の距離を百五十ミリメートル以下としたのは、浮心と重心との間の距離を、艦船の静止時の復元性を保有する程度の最小限に止めようとしているのであつて、百五十ミリメートルという数字は例示したにすぎず、本願発明のもつともねらいとするところは潜水艦船の運動性を改革して流体力学的に動安定を保たせ、BG間の距離は全廃したいという観点に立つており、ただこのようにすれば、乗員の乗降および移動、荷物の積載および水中停止等の静止時の静安定がまつたく存在しないので、これまでの経験により静止時の静安定を保つための最少限の距離をもたせようとするものなのである。したがつて、百五十ミリメートルという数字は例示であつて、要旨の限定事項ではない。

(エ) 水中翼との関係

本願発明の有翼潜水艦船は水中主翼で安定作用を得られることからこれまでの理論から一歩前進して、潜水艦における重心と浮心との距離による安定性をむしろなくしてしまおうとする積極的な技術思想とその構造を示しているもので、もし本願発明の翼の安定作用がなかつたら重心と浮心との距離を小にしてよいとかなくしてもよいとは決していえないのである。

(3) バラストキール

本願発明の出願時においては、船舶関係業界においては、バラストキールを設けることが常識とされていたのであつて、これを設けるか設けないかは単なる設計事項ではなかつたのである。

被告はその周知例として特許第三一七九五号明細書(乙第四号証)および興洋社発行千藤三千造外十一名編著「造艦技術の全貌」の抜萃(乙第五号証)を挙げるけれども、前者は潜水艦の範疇に入るものではなく、その「水雷型潜航艇」も人間が一人やつと横臥しうる程度の円筒体で水雷発射管から発射されるものであつて、その艇の安定を保つ方法も不明である。また後者はバラストキールを具備したものであつて浮心と重心の間の距離によつて静的安定を保つ形式の潜水艦である。

バラストキールを設けてあると、高速航行時において、その重量物による慣性力が働らくので、高速で潜水艦船を回頭し旋回しようとすると、バラストキールのような重量物は旋回中心の外側へ作用する慣性力を生じ、しかもその重量物は浮心よりはるかに下方に位置するため艦底を旋回中心の外側へ押し出して艦艇を傾斜させようとする力を生じ、その結果旋回半径も大となるという欠点がある。

そこで本願発明においては、このバラストキールを全廃すべく、特許請求の範囲に記載した構造を提案したものである。

第三被告の答弁

一  原告請求原因一から三記載の事実は争わないが、その余の主張は争う。

二  原告の主張に対応する被告の主張は次の通りである。

(本願発明の機構について)

(1) 船体に安定板、水平舵、昇降舵などを設け、船体の頭上げ頭下げなどを行うようにしたものは、本件審決において引用されている実公昭三二―一一八六五号公報に示されている通り、従来から公知であり、また航空機において、エルロン的作動をする可動板を設けることは従来周知であるから、この点は、これら公知、周知の事実から容易に考えられるところである。

また、本願のものにおけるこれらの操縦装置は航空機におけるエルロンフラツプおよび垂直、水平尾翼の操縦装置と同一機構を採用しうるものであつて、すなわち操縦杆および足踏杆などによつてそれぞれのエルロンおよびフラツプを単独に、あるいは、協同して操作しうる旨その明細書において記載されており、原告は本願発明の潜水艦を航空機と同一に考えているものである。

航空機は、水に比較し密度の小さい空気中を水の抵抗よりはるかに小さい空気の抵抗を受けながら高速度で推進し、流体力学的な揚力作用を利用することによつて航行するものであり、潜水艦は、空気に比較し密度の大きい水中を空気の抵抗よりはるかに大きい抵抗を受けながら、航空機よりはるかに低い速度で推進し、水の浮力作用を利用することによつて航行するものであつて、航空機は、潜水艦のような浮力作用が働かないから、高速度で推進し、それによつて流体力学的揚力を発生させる必要があるが、潜水艦は、水の浮力作用を受けるから、航空機のような流体力学的揚力がなくても水中を航行できるもので、潜水艦でも造艦技術が進歩し、その速度が早くなれば、流体力学的にみて当然航空機と同様に揚力を発生することができるようになり、低速度で航行する潜水艦のように浮力のみに頼らなくてもよいことになる。

そして高速度の潜水艦で揚力が作用するものの運動性は航空機のそれに近づくことになる。すなわち「従来の潜水艦のような圧搾空気による海水の出し入れによる浮沈法をとらず、飛行機と同じ原理で船体に翼をつけ操縦カンを使つて上下し」(乙第三号証中の記載)ということになるのであつて、空中を航行する航空機と、水中を航行する潜水艦は、それぞれ個性に相違があつても、流体力学的な理論構成はその軌を一にするもので、これらの理論は周知事項に属する。

(2) 浮心と重心の距離について

潜水艦船の浮心と重心との間の距離は、潜水艦船の使用目的に応じて、船の安定性などを考え、設計すればよいことで、この点は単なる設計事項にすぎない。

なお、百五十ミリメートルという長さ(数字)を選定した理論的理由が不明であり、また百五十ミリメートルはどのていどの大きさの潜水艦船に関するものか不明である。

原告が、浮心および重心との距離について主張するところは、船舶の復元性に関する基本的設計事項の説明で、本願発明の構成要件である「浮心と重心との間の距離を艦船の静止時の復元性を保有する程度の最小限(百五十ミリメートル)に止めること」が設計事実であることを原告自ら説明したものである。

しかもこの百五十ミリメートルという数字も例示的なもので限定事項ではないというのであるから、艦船を設計するに当つて、その運動性あるいは安定性を考慮して定めればよいのであつて、このようなことを設計事項というのである。

(3) バラストキールについて

バラストキールを設けないで、船体の重量を軽減すれば潜水艦の速度、深度、運動性に有利となることは当然考えられることである。そしてバラストキールを設けるか設けないかは、潜水艦の種々の条件によつて設計すればよいことであつて、この点は、格別顕著な特徴のある構成であるということはできず、結局、必要に応じて当業者の容易に設計できるていどのことである。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一  原告請求原因一から三に記載の、特許庁における手続経過、本願発明の要旨および本件審決の内容に関する事実は、被告も争わないところである。

二  本願発明と引用例との対比

(一)  本願発明

その成立に争いのない甲第一号証および同第四号証の各記載によると、本願発明の作用効果は、「安定板とフラツプおよびエルロン的作用をする可動板とにより、対水速度を利用して潜水艦船の浮上沈降運動を制御しうるので、従来設計上膨大な体積を占めていたメーンタンクを、静止時に乗員または荷物の出入口が水面より露出するに充分な体積、すなわち全排水量の十パーセント以下あるいは皆無とすることができ、さらに前記の出入口を司令塔の頂上に設けるときは、司令塔の頂上のみを水上に露出できるだけにメーンタンクの体積を縮少しうるので、耐圧船殼部の大きさに比して船体の外形を著しく少さくすることができ、かつ船体は常に水中に在るので、その外形は造波抵抗を考慮した水上艦船の設計常識から離れ、むしろキヤビテーシヨンを考慮した極度の流線型とすることができるので、外面摩擦抵抗も極少となり、水中航行速度を著しく向上することができるとともに、バラストキール等の重量物を全く塔載しないので、その重量も軽減でき、そのうえ浮心と重心との距離が短いので、水中主翼または水平舵のフラツプおよびエルロンを操作して運動制御をする場合、重量不斉のイナーシヤによつて生ずる船体の不安定を生ずることなく迅速軽快な変針運動を行いうること」にあるものと認められる。

(二)  引用例

その成立に争いのない乙第一号証の記載によると、本件審決の理由において引用された昭和三十二年実用新案出願公告第一一八六五号の公報は、昭和三十二年九月二十六日出願公告されたもので、この公報には、「潜水艦の本体に主翼を設け、主翼の一部に水平舵を備え、艦船の尾部に方向舵を有する垂直安定板および昇降舵を有する水平安定板を設けた有翼潜水艦」が記載され、この有翼潜水艦は主翼の水平舵の操作により艦の浮揚沈降の浮沈舵力を艦の重心付近に付与するので、急速な浮揚沈降が可能であり、また尾翼の水平昇降舵によつて艦の上下運動をする際、主翼によつて重心付近を支持されているので、大きな安定性を付与できるのみならず、通常、潜航または浮揚時に要する主浮力タンクの、注排水操作は全くこれを省略でき、船を無浮力の状態にして単に主翼の揚力のみにより、水上航行をすることができるので潜航全没に要する秒時を著しく短縮でき、また、主浮力タンクを約十五パーセント以下に縮少し、かつ、これに伴つて、艦の横断面を円形に近似させることができ型格は水中航行に適した極度の流線型にすることができるとともに、その主翼および尾翼の操作により、航行機の操縦のように、敏感かつ確実な操蛇性能を有する運動性と著しい安定性とを付与するものであることが記載されていることが認められる。

(三)  両者の対比

そこで本願発明と引用例とを対比してみると、その成立に争いのない乙第一号証の記載によると、引用例のものは、潜水艦の船体の局部に昇降舵を有する水平安定板を設け、この昇降舵の操作により船体の頭上げまたは頭下げの運動を生ずるものではあるけれども、本願発明にみられるような、艦船の航行中の対水速度により艦船の浮心廻りの頭上げまたは頭下げの作用を積極的に生ずるフラツプ的作用だけでなく、艦船の浮心廻りの左右の傾斜を積極的に発生させるエルロン的作用をもする可動板からなる水中主翼を有するものではないことが認められる。

三  航空機との対比

本件審決は航空機にみられる周知技術を援用するので、本願発明と航空機とを対比してみるに、その成立に争いのない乙第二号証および同第七号証の一から三の各記載によつてみるも、一般に潜水艦船は水中にあるときはその自重を水の比重と同じくすることによつて、任意の点で停止しうるものであり、これに主翼を設けてあつても、この主翼によつては浮揚力を生ずるものではなく、さらに水平舵を設けて、この水平舵の操作によつて始めて浮揚力を生ずるものであるのに対し、航空機は航行中にその固定主翼に生じていた浮揚力によつて空中に支えられているものであるから、固定主翼なしでは空気中に支持されることなく、また、停止することもできない。

したがつて、本願発明の潜水艦船ではフラツプ的作動をする可動板の操作によつて始めて浮揚力あるいは浮降力を生ずるのに対し、航空機では、フラツプ的作動をする翼の操作によつて、その固定主翼にすでに生じていた浮揚力に増加分あるいは減少分を生ずるものであるから、両者の主翼に施した技術手段は、その作用を異にするものということができる。

結局、この点からみると、フラツプ的作動をする翼の操作によつて浮揚ないし沈降の作用をさせる点では両者共通のものがあることはこれを否定できないとしても、その膨大な自重を空中に支えるために主翼が常に空気に対して相当の相対速度を有していなければならない普通の航空機の固定主翼に施した技術手段を、ただちに本願発明の潜水艦船の主翼に施すことは必ずしも当業者の容易になしうるところとはいいがたいというべきである。

なお、本願発明の明細書のうち第十三頁第二行から第七行は、被告の指摘するように、「操縦装置は特に図示していないが、航空機におけるエルロンフラツプおよび垂直、水平尾翼の操縦装置と同一機構を採用しうるものであつて、すなわち操従杆および足踏杆等によつてそれぞれのエルロンおよびフラツプを単独にあるいは協同して操作しうる。」旨の記載があるけれども、この記載は単に航空機におけるエルロンおよびフラツプなどの操縦装置の機構を本願発明における潜水艦船の可動板での操縦装置に用いる趣旨を明らかにしているに止まるものであつて、このことから本願発明の水中主翼が航空機の固定主翼における技術手段とその技術思想を同じくするものであること、ないしそれから容易に推考し得るものであることを原告自身自認しているものであるということはできない。

また、被告は、読売新聞昭和三十二年十月三日夕刊に記載されたところを採用し、有翼潜水艦船が航空機と同一に考えられている一例としているが、その成立に争いのない乙第三号証の記載によれば、有翼潜水艦をもつて水中飛行機と呼び、従来の潜水艦のような圧搾空気による海水の出入れによる浮沈法をとらず、航空機と同じ原理で船体に翼をつけ、操縦カンを使つて上下し、海上航行はほとんどせず、もつぱら水中航行用に作られている旨の記載があることが認められるところ、その趣旨とするところはこの有翼潜水艦船の水中における航行状態と、航空機の空中における飛行状態とに、共通するところがあることを説明したに止まり、さきに認定したような、水と空気の性質にともなう、その解決すべき課題の相違点にまで触れていないから、そのことから直ちに航空機における技術をそのまま有翼潜水艦船に用いえられるべきものとすることはできない。

さらに、その成立に争いのない乙第六号証の記載によると、被告の援用する特許出願公告昭三一―七二一九号公報のうちにも「あたかも主翼に生ずる揚力によつて空中に浮揚する航空機の如く航行しえられる。」旨の記載があるけれども、このような表現も前記と同じ理由で、さきの認定を覆えす資料とはなし難いというべきである。

四  浮心と重心の距離およびバラストキールについて、

その成立に争いのない甲第八号証の一から三および乙第五号証の一から三ならびに原告本人尋問の結果を綜合するときは、一般に船舶工学あるいは造船工学において、船舶を設計するに当つては、船体の安定を浮心と重心との間の距離に基づくヤジロベエ的復元力に依存し、右の浮心と重心との距離を、安定性を考慮して設計値以上に設計し、またその重心を下げるためにバラストキール(バラストによる場合を含む。以下同じ。)が存在していることは当然のことであり、刊行物の記載のうちには、バラストキールの記載のない例があるけれども、そのような例は、バラストキールが存在しないものとみるべきではなく、その記載を省略したものと解すべきであること、そして潜水艦船の全水没時における安定性あるいは復元性を考慮するときは、従来においては、浮心と重心との距離は一定距離以下とすることはできないとされていたこと、を認めることができ、成立に争いのない乙第四号証のものも「水雷発射管より発射せられる水雷型潜航艇」に関するものであつて、これを本願のもののような潜水艦船に比すべき公知例とするには足らないものと認むべきであり、ほかに右認定に反する資料はない。

しかるに、これに対し本願発明は、引例の有翼潜水艦における水中主翼、水平舵の特性を生かすとともに、艦船の浮心廻りの左右の傾斜を積極的に発生させるエルロン的作用をする可動板を設けることによつて、従前の船舶常識であつたバラストキールを全廃し、しかも浮心重心間の距離を艦船の静止時における復元性を保有する程度の最少限に止めることを可能ならしめたものということができる。

被告は右の浮心と重心間の距離として挙げている「百五十ミリメートル」という数字は例示的なものというならば、設計事項にすぎないと解すべき旨主張するけれども、右に認定したように、バラストキールを廃止することは従来の船舶理論では全く考えられていなかつたところであるから、これを廃止することができるような構成を発明した本願発明に示されたところによつて、浮心と重心との距離を、船舶の静止時における復元性を保有する程度の最少限に止めるという技術が可能になつたというほかなく、この点において従来の船舶理論に基く限界を乗越えたものということができ、単なる設計的事項ということはできない。

五  結局、以上の各点を綜合すれば、本願発明は、本件審決のいうような、引用例記載の技術内容から、(周知に属する技術を用うれば)容易に推考できる、というものではなく、むしろ、その技術内容からさらにその限界を超えたものとして評価するのが相当であると解されるから、この点において本件審決は違法として取消されるべきである。

よつて、原告の請求は、これを正当として認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条および民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山下朝一 多田貞治 田倉整)

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